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吉田藍子 Pre-Ongoing School
吉田藍子『青いファンファンとその周辺』
2016.06.01 [水] - 2016.06.12 [日]

先日のプレオンゴーイングスクールにて、吉田藍子さん(以下リンリン)に展示についてお話を伺いました。



表現の核、まんなかのこと

「『展示タイトルのファンファンって何ですか』って平日スタッフの方に訊かれたんですが、正直なんでもないんです。語感は気になってたかな。ファンファンってパンダみたいだし、英語のfunにも聞こえるし、日本語の『不安』という言葉にも似ているし、わたしのあだ名のリンリンという響きにもつながる。でもだからと言って特に意味はないんです。そう答えたら、スタッフの方に『なんでもないものとその周辺ってことは、本当になんでもないんですね』と言われました。それを聞いてほんとにそうだなーって。きっとなんでもないんです」

リンリンは、以前から、自分の表現には核がないのではないかと感じていました。それについて思い悩んだ時期もありましたが、今ではそういう状態から無理に脱そうとせず、「いま核が見えないのであれば、その状態もアリだとしよう」と思うようになったそうです。

「まんなか(自分)は空っぽだっていう感覚がずっとあるんです。周辺のことがあるから形や思いがあるように見えるけど、その核となる部分は、かなりあやふやで心もとない感じがするというか。
たとえば、ヒトは気圧があるから形づくられている。まわりに気圧がないと形をとどめていられない。たとえば宇宙みたいに気圧がない場所に行ったら、外側と内側のバランスがくずれて、ヒトの体はバーンって破裂してなくなっちゃうわけじゃないですか。なんだか、そういうイメージがつねにあるんです」

そういったイメージのもとに、すぐにでも破れそうな薄い紙でつくった「頭」や、くしゃみをすれば簡単に吹き飛んでしまいそうな「埃」、気になるものをかけ合わせたリンリンの思考のコラージュのような作品が、ギャラリーには展示されていました。強いメッセージがあるというよりは、なにか強いものの傍では一気にかき消されてしまいそうな、か弱い、しかし確かにそこに在るものもの。大きな物語になりきらない、小さな物語の予感がちりばめられた空間でした。

 
 
 


展示の成り立ちと、リンリンの涙と、わたしの話

Ongoingで、リンリンの展示が行われるのは2回目です。前回は衣川明子さんとの2人展で6年前で、わたし(スタッフの弘川です)がOngoingに入って2年目の頃でした。トークゲストとして会田誠さんを呼んでガチガチに緊張していたリンリンと衣川さんを見て、こちらまで緊張たのをとてもよく覚えています。そして翌日はプレオンゴーイングスクールでしたが、お客さんがほとんど来ず、わたし1人で作品解説を聞きました。リンリンも衣川さんもあまり饒舌ではなかったので、こちらからいろいろ根ほり葉ほり質問をして、やっと言葉が出てきたのを拾い集めて記録しました。なんとなく「若手の作家さんって説明に慣れてないのかな」と思っていましたが、あとで小川さん(Ongoingディレクター)に「ゆきえちゃんにいろいろ聞いてもらえてよかったって、あの子たち喜んでたよ。聞かれて、話したことでいろいろ分かったって」と言われてとても嬉しかったのを今でもよく覚えています。

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実は、今回の展示のきっかけはとても例外的なものでした。いままでOngoingの展示は、ディレクターの小川さんから作家さんに声をかけて実現するのが常でした。作家さん側から「やらせてください」というリクエストで展示が生まれることはほとんどありませんでしたが、今回の「青いファンファンと〜」展はリンリンから「展示をやらせてください」というお願いしたそうです。そして、そのリクエストを受けた小川さんは、迷わずすぐにOKを出しました。リンリンのことは長年知っていて信頼していたし、普段グイグイ来そうもない彼女がめずらしくグイグイきたのを見て「これはおもしろいから、やらせてみよう」と思ったそうです。

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展示の最終日、わたしが「実は〜」と、この話をしたときにリンリンは泣きました。「そうなんですか。特例だったなんて知らなかったです」と言い、こらえていたものが突然あふれ出したかのように泣きました。うれしい涙なのか悲しい涙なのかわからず戸惑っていたら、リンリンが「ありがとうございます。なんかうれしくて」と言ったので、うれしい涙だということが分かりました。彼女が少し落ち着いた頃、こんな質問をしてみました。

私「リンリンの方から『展示をさせてください』とアプローチしたと聞いて、なにか心境の変化があったのかと思いました。なにか変化があったんですか?」

リンリン「そういうわけじゃないんです。ただ、こうやって作品について話したかったんだと思います」

私「普段はあまりアートについて話さないんですか?たとえば職場では?」

リンリン「職場はアート系ではないので、そういう話はしないですね」

私「そっかーそうなんですね。でも、お友達は美大出身だったり、アーティストだったりしますよね」

リンリン「うーん。アートの話はします。でも私自身あまり制作ができていないので、自分の作品がないと話していてもつまらないんです」

私「あーなんとなくわかる気がします。言葉ばかりが増えていってしまう感じでしょうか」

リンリン「そうなんです。実はいろいろ分からなくなっていたんです。本当に自分はやる気がるのかどうか。でも、実際に今回の展示のためにいろいろやってみて『やっぱり自分はこれをやりたいんだなぁ』とあらためて分かって・・・」

そう言いながら泣いて声が出なくなるリンリンと向かい合いながら、わたしも泣きそうになりました。いつもポーカーフェースのリンリンの涙。わたしは、作品解説でリンリンが言っていた「自分の表現には核がないのかもしれないと悩んでいた」という言葉がずっと気になっていました。「自分の表現の核がわからない」って実は作家さんが密かに抱えている(あるいは抱えたことのある)悩みで、それでやめる決心をする人、どうにかして続けようとする人、いろいろあるんじゃないかなぁと思いながら、リンリンが「なんかごめんなさい」と涙をぬぐうのを見ていました。

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一般的なアーティストのイメージとして「世の中に伝えたい強いメッセージがあってアートでそれを伝えてくれる人」というのがあると思います。(あ、ちがう?笑)わたしはOngoingのスタッフを始めて8年にもなるというのに、「アートとは」「アーティストとは」という問いに対してかっこいい返答をすることはできません。(トホホ)でも「悩みながらもとにかく表現せずにいられない人」を見ると、「ああ、この人は根っからのアーティストなんだなぁ」と思います。だから、というのも変ですが、泣きながら「やりたい」と言うリンリンを見て、アーティストとして生きようとする人の根っこの部分を見た気がしてなんだか感動したのでした。

展示のあと搬出が終わったころに、リンリンがメールをくれました。「昨日はありがとうございます。いきなり泣いちゃって驚かせてしまってすみませんでした。急に気持ちがもりあがって感動してしまいました。また、展示できるようにがんばるので、またお話きいてください」という内容でした。最後の部分が6年前に小川さんから伝え聞いた言葉と重なって、またうるっときました。「わたしは作家の話が聞きたくて、作家と距離が近いOngoingに居続けているんだなぁ」と、わたしまで自分がアートに関わる動機の根っこを久しぶりに掘り返してしまった気分です。

リンリン、プレオンゴーイングスクールありがとうございました。これからも楽しみにしてます!
| プレオンゴーイングスクール | 22:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
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